とーふlist

うつ病と診断され大学を休学→復学→卒業。それから就活に挫折し、フリーターに足を突っ込んだ人間の日常です!

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実家に帰ってきても抜け殻だった私。世界に息がしやすい場所が増えますように。

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こんにちは、とーふです。         

お越しいただいてありがとうございます!

※手直し移転記事です。

 

 

私は「うつ病」と診断されるまで時間がかかりました。

そして診断されてからも、ある程度いろんなことを片付けるのに、また時間がかかりました。

 

それから診断されて、物事にかたをつけてから実家に戻ってきました。

やることはないし、やる気もないのに時間だけはありました。

最初の頃は、記憶がないと言っても過言ではないほど「生気」というものがありませんでした。

 

 

ただの抜け殻だったあの頃

眠れない、風呂にも入れない、食事もままならないような状態でした。

この頃体重が軽く5kgぐらい落ちました。

 

いつも横になっていたために低血圧で、目も虚ろ、体を少し動かすだけでだるくて仕方なかったです。

何かを考えることを放棄していました。The 鬱でした。

 

本当にあの頃はベッドの上の布団の中だけが私の居場所だったんです。

 

 

その時につけていた日々の日記

その時にも「何かしないとこのままだと廃人になってしまうかも。」という恐怖感がありました。

 

何も思考能力がなくしていた私がしたことは、ほぼ毎日大きめの付箋に朝・昼・夕の食事が食べられたか、ちょっとした記録としてその日に何があったかを軽く書き留めることでした。

 

元気があるとき、普通のとき、落ち込んでいるとき、その日の症状によって自体も筆圧も全然異なっていました。

特に落ち込んでいるときは、筆圧も薄いか、書きなぐったような字体でした。

今でも、振り返る時に何となく「この日の体調は良くなかったのかな。」と冷静に分析することができます。

 

何かをしていないと不安で堪らなかったです。

このまま眠ったら、このまま目が覚めないかもしれないと思う気持ちと、このまま消えてしまいたい気持ちであの頃は、いっぱいいっぱいでした。

 

 

実家に帰ってきても

休んでも良いと言われても、これまでの事情で私の心が本当の意味で「休む」ことを拒否してしまいます。

 

家族というか、「ヒト」というものがダメでした。

私のことを急に傷つけることなんかないなんて、頭ではわかっているのにカラダが拒否していました。

 

この記事を書いている、今現在でも親族等の顔すらみることができていません。

特に親族たちに対する負い目のようなものがハンパなかったです。

 

日記をつけて、抜け殻だったあの頃、実家という「家」にも自分の居場所をみつけられませんでした。

 

自意識過剰にもほどがありますが、この世の全てが自分のことを「いらないニンゲン」「死ネバイイノニ」だと思っていました。

 

 

初めて体感する「うつの波」

時間ができて初めて体感する「うつの波」でした。

最初の頃は、その波は大しけだったり、凪いでいたり上下が1日のうちで激しかったです。

 

今の先生に戻ってくるまでに、いろんな病院に行って先生にあっては失望したり、怒りに打ち震えたりすることがありました。

 

何度も何度も失望して、その時の私は学習性無力感に陥っていました。

学習性無力感(がくしゅうせいむりょくかん、: Learned helplessness[1])とは、長期にわたってストレスの回避困難な環境に置かれた人や動物は、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなるという現象である。他の訳語に学習性絶望感[2]獲得された無力感[3]学習性無気力[4]がある。

なぜ罰されるのか分からない(つまり非随伴的な)刺激が与えられる環境によって、「何をやっても無駄だ」という認知を形成した場合に、学習に基づく無力感が生じ、それはうつ病に類似した症状を呈する[5]。1967年にマーティン・セリグマンらのオペラント条件づけによる動物実験での観察に基づいて提唱され[5]、1980年代にはうつ病の無力感モデルを形成した[6]

2016/4/28 ウィキペディア参照

 

 

実家に居ることで、ストレスの大元からは離れることができました。

そのおかげか、時が経つにつれ徐々にですが、キモチの波が押しては返すさざ波のようになっていくのを感じました。

 

その穏やかさも「波」にしてみれば、一時的なものでしかありませんでした。

気まぐれで、ときには波に飲み込まれたり、調子の良い波にのれたりする日だってありました。

 

 

自分の居場所の拡大

それでも  最初は自分のベッドの上だけだった私の居場所は、段々と部屋の中、リビング、「家」へと広がっていきました。

(実際のところは、今でも疎外感を感じることはありますが、おおむね自分の居場所として認識することができるようになってきました。)

 

過ごせる場所が増えたことは、私にとって息がしやすい空間が増えてきたように感じました。

 

 

そもそも「生きている」ことに嫌悪感

「私もそのキモチがわかります。」なんて身勝手なことは言えませんが、初めは与えられた時間に戸惑うと思います。

 

自分が「生きている」というだけで苦痛を感じていました。

気持ち悪くて仕方なかったです。

 

 

まとめ

それでもうつ病と診断されてから2年半生きています。

今は毎日が私には刺激的すぎて「もうやだ」が口癖になりつつあります(笑)

 

 

あるとき気づくんです。

前よりも息がしやすくなっている自分に

随分とたくましくなっていた自分に

 

だからって急に、

毎日が輝いてみえる!

私ってなんて幸運なのかしら!

生きているって素晴らしい!

とかは、とうぶんの間感じる予定はありません。

書いているだけで、胃酸が上がりそうです。

 

 

過去の記事でも書いたことがあったかもしれませんが、

私は自分が苦しくて仕方なくてひとりで泣いたりどうしようもなくなったりした経験があります。

それは友人や家族が居てもどうしようもない孤独感です。

 

さみしいのです。

 

この記事が慰めになるかはわかりません。

共感して欲しいし、認めてもらいたいという気持ちは、弱っている人やSNSをやっている人は強いです。

もちろん私もその一人です。

ですが共感してもらいたくても、どんな人でも距離感は大切です。

 

 

 

そろそろまとめます。

世界にあなたと私の息のしやすい場所が増えますように。

 

 

 

それでは・・・・・・

 

じゃあ恒例のいきますか!   

※このブログ内だけです。流行らせようとしています。

 

はい吸ってぇーーーー(スゥーーー)

吐いてぇーーーーーーーーー(ハァーーーーーーーーーーー)

 

ちなみに吐く息を長くしたほうが、自律神経の副交感神経を刺激して体がリラックス方向に傾きます。

深い呼吸しましょう。そしてリラックスして、脳に酸素を届けましょう!

 

知らないうちに、無意識に、笑っているあなたになりますように

 

 

今回もここまで読んでくださってありがとうございました!!