こんにちは、とーふです。
お越しいただいてありがとうございます!
※手直し移転記事です。
年の流れは早いですね。
2017年、平成29年、酉年・・・
こう並べてみると、ゾクッとしますね(真顔)
無情にも過ぎていく時の流れになすすべもなくなる前に、そろそろブログを更新しようと思います!
今回は、いわゆるゆとり世代について、ゆとり教育の真っ只中に産まれた私が少し書かせていただこうと思います。
そして、私自身が感じている真綿のような圧迫感や世間一般とは違う考え方を知ってもらえたらと思います。
ゆとり世代とは
ゆとり・・・確かに、ゆとりの私たち根性と忍耐とは無縁といえる環境で育ったのかもしれません。
ただ言えることとして、その人をつくるのは制度だけでは決してないということです。
広義では1987年4月から2004年3月生まれを指す。すなわち、小中学校において2002年度以降、高等学校において2003年度入学生以降に施行された学習指導要領を受けた世代である。また狭義では1987年4月から1996年3月生まれを指す。この世代は一定の共通した特徴をもつとされる世代である。とする説。 2016/4/20ウィキペディア参照
そこから生まれたさとり世代とは
これは現代の若者気質から作られた言葉であり、最近の若者が現実を悟っているように見えたところから生まれた言葉。
概ね1990年代に生まれた世代とされる。 このさとり世代という言葉は2013年の「新語・流行語大賞」にノミネートされていた。これは博報堂若者研究所リーダーである原田曜平が角川書店から「さとり世代」(2013年10月)というタイトルの本を発売し、メディアで広めたことも後押しされたことが1つの理由と言える。 2016/4/20ウィキペディア参照
実際にさとり世代として育った私からすると、「さとり」という実感もありませんでした。
世間的にも、ゆとりもさとりも同義語なのですから。違いという違いはありませんね。
総合したマイナスイメージとしては、
• 注意されるとすぐめげる(打たれ弱い)
• 言われたことしかやらない
• 失敗を極端に恐れる
• 礼儀がなってない
• 常識の範囲の知識がない
• 恋愛に消極的(いわゆる草食系)
• すぐ他人のせいにする(自分の非を認めない)
• 責任感がない
というようなことを想像すると思います。
実際のところ、根性と忍耐とかとは無縁だった私の人生を短めに書いてみます。
私の根性と忍耐とは無縁の人生
私は、体型が小学校の頃から太っている体型といわれる体型でした。
だからといって、自分の体型を自虐ネタにしたり、自分から話しかけたりなどしない、暗い方のデブでした。
幸運なことに親しい友人などはいて悪質ないじめなどは受けませんでしたが、いつも自信がありませんでした。
部活・サークルなど、
・小学生→漫画が好きで、クラブ活動は自由な「漫画イラストクラブ」に加入。ただ漫画読んでるだけ。
・中学生→絵が描くのが好きだったので、「美術部」に加入。中学時代で、今の友人関係の大部分が構築される。
・高校時代→どれもゆるかったので、文化部を掛け持ち。それでも人間関係的には少し淋しい高校時代を送る。
・大学時代→めぼしいサークルなどがなかったため加入せず。めっちゃ田舎でした。大学仲間はとても良好でした。狭く深くだったため、縦の繋がりに苦労した。
と書いていると改めて理解しますがとても人に恵まれていました。
しかし!
見出しでも書いていますが、努力とか根性が培われるような環境かと聞かれると「そういうのはないですね(困笑)」。
当時は、面接とかではアピールポイントをみつけるのに凄く悩みました。体育会系の頑張りと、コミュニケーション能力を求められるようになっていたので・・・
今の生活と時の流れ
・怠惰な生活。
・ニート状態。
・周囲は私のことを責めないで待っていてくれる。
→時間の流れが遅いようで、あっという間でした。新しいことのない、変化のない毎日だからでしょう。
優しい人? で、
「○○が動かなきゃと思う時が、動く時なんだから、そんなに焦らなくても良いんじゃない?」
とーふ:いやいや、普通に焦るから。もう2○歳で最終学歴が高卒のニートなんだぞ。
「○○は今まで頑張ってきたのだから、それは無駄にならないよ。」
とーふ:いや、学んできたことが特殊だから活かせるところは大体トラウマよ。
こんなことを言ってくれるが故に、重たいボディブローをくらうときもある。
冷静に現実みちゃうと「やりたくない理由」を「正当化」しているだけなんですけどね。
向こうも気遣いゆえなので、微妙な顔になっちゃいます。(´・д・`)
責められないことの苦痛
私のことを周りは責めるようなことはしません。
ただ時々「~したら」「~してみる?」と提案してくれるだけです。
自由にしても良い、休んでも良いと言われても「やりたいことは?」と問われ続けている気がしました。
このまま足元から、養分の摂り過ぎた草木みたいに腐りそうでした。
真綿のようにジワジワとした圧迫感を感じました。 ※これは、恵まれているということをわかった上でのことですので非難は控えてくださると助かります。
喉元に、ゆっくりと手をかけられているようでした。
ゆとり世代に方々に
まさに私のような人間が、最初に例に挙げたような「ゆとり世代=さとり世代」を更なる偏見を積み上げてしまいます。
申し訳ない気持ちになります。
「ゆとり世代=さとり世代」の中にちゃんとしている人は沢山います。
ちゃんとしているという定義は、私の言葉では説得力がないでしょうが(苦笑)
今回は私の記事が、同世代や上の世代、下の世代の人たちの「ゆとり」についての意識に向けて書きました。
誤解しないでもらいたいのは前提として、そもそも私はゆとり世代の人たちののんびりとした空気感が好きです。
勉強は確かに今の教育を受けている子たちにはついていけないかもしれません。
総合学習や道徳の時間に力を入れていたように思います。
言うなれば「人間力」をつけさせようとしていたのかもしれません。
それらの経験は、実際の社会生活や就活、受験などには役に立つことは少なかったと思います。
ですが、体験学習に多くの時間が使われていて、その「経験したこと」は一生ものの宝物です。
まとめると
ざっくり言うと「多様性」を受け止められる器をもつ人たちが多い世代なのではないかと思います。
決してあきらめが早い訳ではなくて、速い判断で違う道を選択する「考え方」をもっていたりするのではないでしょうか。
だからこそ私たちの世代は「ゆとりだから」と言われることは嫌がっても、「ゆとり世代である」ということ自体は、あまり嫌がる人が少ないのではないかと思います。
上下の世代のことは自分たちが体験したことのないことを体験している人たちのこととして、人間だからどうしても気になってしまいます。
「隣の芝は青い」じゃないですが、そりゃあ毎日時代の流れは進んでいき「教育」だって変革がその流れ早さによって大きくなるでしょう。
羨んでもしょうがありません。
あたりまえのことです。
今は、「ゆとり」という言葉が沢山の情報でSNS、書籍、報道、ドラマに至るまで取り上げられています。
その中の情報の1つとして、1人のゆとり世代の人間の考え方、これまでの生き方に少しでも触れた中で何か感じて貰えたら幸いです。
それでは・・・・・・
じゃあ恒例のいきますか!
※このブログ内だけです。流行らせようとしています。
はい吸ってぇーーーー(スゥーーー)
吐いてぇーーーーーーーーー(ハァーーーーーーーーーーー)
ちなみに吐く息を長くしたほうが、自律神経の副交感神経を刺激して体がリラックス方向に傾きます。
深い呼吸しましょう。そしてリラックスして、脳に酸素を届けましょう!
知らないうちに、無意識に、笑っているあなたになりますように
今回もここまで読んでくださってありがとうございました!!