こんにちは、とーふです。
お越しいただいてありがとうございます!
今回の記事のテーマは「心療内科に通ってはいるが、いまだに病院に行くことが怖い件」についてです。
心療内科に通っていると、心因性による体の不調を感じてそれに応じた薬を処方されることが多いです。
そのため、普通に体の調子が悪くてもまた心が弱いのが原因なのではないか? と自分の体のことなのに疑心暗鬼になってしまいます。
怖い
何よりも自分のうつという病気のことやその他のことを「普通」の病院の先生に知られるのが怖いのです。
「どんな風に思われているのだろう。根性無しが。ゆとり世代だからか。」と考え込んでしまいます。
私は休学するまで、医療系の専門知識を勉強してきました。
だからこそ、そんな風に考える人ばかりではないということも頭では理解しています。
何よりも私が休学する大きな要因の一つが、医療系の学校に多い実習だったことです。
ありがちで面白味もない理由ですが、私には今でも根深いトラウマとなっています。
もう数年の月日が経っていても怖いのです。
私にとって病院は、心を救ってくれた場所であると同時に壊れた場所でもあるので複雑な心境です。
トラウマになってから
病院という場所が私のトラウマになって、またその病院は私の生活圏に存在していて、住んでいる場所からも非常に近いです。
特に大きな病院のそばを通るだけで体が緊張して、気持ち悪くなります。
心を救ってもらったクリニックでも、調子の悪い時は母に薬だけとってきてもらうことがあります。(家から出られないとき、クリニックの駐車場まで行けるときがあります。)
それでも定期的に薬を処方してもらうために病院の先生に受診するという行為は、私にとってトラウマを少しずつ改善されている大きな前進です。
「幸福の鍵は、健康と健忘ね。」 イングリット・バークマン
女優であった彼女の言葉にもあるように、私も健康=体。健忘=心。が健やかであるためにはどちらも必要不可欠であると思います。
時間と認知行動療法という治療は確かに効果的かもしれませんが、健忘に勝るメンタルケアはないのかもしれないとこの言葉に出会ってからは考えてしまいます。
時間が心の重荷を軽くさせてくれる
私の場合、自分にあった病院に出会うまでに時間はかからなかったが、一人暮らしから実家暮らしに戻って再び病院に行けるようになるまで1年半かかりました。
しかし私にとってその1年半は必要な時間でした。泥のように世界中で独りのような気持ちになったあの時間も誰しも経験できる時間ではないと思います。
直接的なストレスではなくて間接的なストレスを感じた中で、色んな自分を見つけることができたし、色んな周りの人の私に対しての気持ちを知ることができました。
それまで自分の中で「頑張っていた自分」のことに向き合う時間でした。
ネガティブに自分なんて○○と比べたらと考えるのではなくて、ポジティブにあの時の自分は「頑張っていた」と素直に認められるようになりました。
結論:ビビっていいんじゃない?
私の結論としては、怖がる心は間違っていないということです。
忘れること。認めること。
それに許された時間を使っても良いと思うんです。
私もですが、ビビって震えているその姿は恥ずかしいものではありません。
情けなくて泣き続けた夜も無駄にはなりません。
助言するとするならば、以前書いた記事の「記憶より記録」がポイントです。
最悪、自分の症状や言いたいことを記録してお医者さんに押し付けちゃいましょう。(「・・・相手もプロ。どうにかなります。」経験談)
1日1日やり遂げていきたいです。
ハードルは低く、低くです!
それでは・・・・・・
じゃあ恒例のいきますか!
※このブログ内だけです。流行らせようとしています。
はい吸ってぇーーーー(スゥーーー)
吐いてぇーーーーーーーーー(ハァーーーーーーーーーーー)
ちなみに吐く息を長くしたほうが、自律神経の副交感神経を刺激して体がリラックス方向に傾きます。
深い呼吸しましょう。そしてリラックスして、脳に酸素を届けましょう!
知らないうちに、無意識に、笑っているあなたになりますように
今回もここまで読んでくださってありがとうございました!!