こんにちは、とーふです。
お越しいただいてありがとうございます!
※手直し移転記事です。
報告があります。
何と我が家が光回線になり、インターネットに繋がりました!!
今までテザリングだったので、時間との戦いだったので現在進行系で感動しています!!
今回は「うつ病における対人関係における漠然とした不安」について、書かせていただこうと思います。
私は現在、親戚や近い親類にも会うことを拒んでいます。
友人も、親しくしていたと言えるレベルの人ともあまり会えていません。
どちらも快く私の事情を知ってくれていて、気にするような人達ではないとわかっているのにも関わらずです。
親しいというか、血のつながりというというものを強く感じるほど私は会うことを躊躇ってしまいます。
明確な理由を書こうと思っても書けませんが、「失望されたくない」という「いい子ちゃん」の皮をまだ断捨離できてないのかなと自分では推測しています。
文字にする分には客観的に分析できますが、実際に「会おう」とすると駄目ですね。
段々と人生を身軽にして、前に進む時に跳ぶべき人生のハードルのひとつだと思っています。
特に祖母には元気でいる時間が少ないです。
合わなかったら後悔する人の筆頭です。
だから必ず会います。
そして、このブログで報告したいと思います。
正直辛いです。
申し訳ない気持ちでいっぱいです。
こんなふうになった理由もわかりませんし、どうして会えないのかも不確かで、そんな自分が嫌になります。
タイトルにもありますが、「対人関係における漠然とした不安」に振り回されています。
自分自身、自分勝手だなと思うのは「大丈夫な人達」というのも居るということです。
その差は自分自身でもわかりません。(そもそもわかっていたら自分で何とかしますし)
実家にいる私、働いていない私、道に迷っている私、
そんな私は実家に居るにも関わらず、実の親子にも関わらず、言いたいことや思っていることを表現できません。
どんどんそんな気持ちが溜まってしまうと、一体どうなるでしょう?
簡単な結論に達します。
それは感情の爆発です。
しかも主に母にあたってしまいます(物理的に会っているため)。本当に最悪で、駄目な奴です。
私は上記の「実家にいる私、働いていない私、道に迷っている私」には、発言権すらないのではないのだろうか? と思ってしまうのです。
存在しているだけで、「悪」なのだと頭の中でパニックになってしまうのです。
対人関係においても、そんな考えが頭をよぎります。
「駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!!!」と喋っていても、急激に不機嫌になったり、落ち込んでしまったりするのです。
そばにいてくれる人には本当に面倒くさいと思います。実際、相手の心も病ませてしまいます。
金八先生ではないですが、本当に腐ったみかんのような気持ちになっているのです。
そんな私は、死んだほうがいいじゃないかと考えてしまい何回も母に泣かれました。
毎日やることもない(行動するのが怖い)日常の中で、卑屈な心がぐんぐん育ってしまい、いつでも漠然とした不安感を抱えているように思います。
それでも、認めてくれる人が1人でもいてくれる限り、このブログを読んでくれる人が居るかもしれないのなら生きていたい!
生きて、活きて、逝きたい。
今日は「対人関係における漠然とした不安」がテーマでした。
少しでも、私たち1人1人の中でひっかかるものが気持ちにさせてくれるものがあるのなら、生きましょう!!!
ありがちな言葉ですが、「自分が死んでも世界は変わらずにまわり続ける。しかし、自分が生きることで変わることがあるかもしれない。」です。
今日はこのくらいにさせて頂きます。
それでは・・・・・・
じゃあ恒例のいきますか! ※このブログ内だけです。流行らせようとしています。
はい吸ってぇーーーー(スゥーーー)
吐いてぇーーーーーーーーー(ハァーーーーーーーーーーー)
ちなみに吐く息を長くしたほうが、自律神経の副交感神経を刺激して体がリラックス方向に傾きます。
深い呼吸しましょう。そしてリラックスして、脳に酸素を届けましょう!
知らないうちに、無意識に、笑っているあなたになりますように
今回もここまで読んでくださってありがとうございました!!