こんにちは、とーふです。
お越しいただいてありがとうございます!
※手直し移転記事です。
今回は 「記憶より記録」について書いていこうと思います。
いきなり、「記憶より記録」と言われても何なん? だから何? という感じだとも思います。
結論から言ってしまうと、私が言いたいことは「記憶は記憶の改ざんが得意で、記録はその時の情報を切り取ったもの」ということです。
その中では正確な記憶というものは、私はほとんど存在していないと思っています。
実際に記憶というものは、日々粗い目のザルで情報を処理しています。
そうしないと、とんでもない量の情報で個人の容量をすぐに超えてしまいますから仕方のないことです。(まれに、サヴァン症候群のような特別な記憶能力をお持ちの方もいらっしゃいます)
記憶の中の楽しい、嬉しい良い思い出達はそのままぼんやりとした記憶の中で漂っていても大きな問題にはなりません。
問題になるのは反対の感情の記憶達です。
例えば、
悪い記憶は思いだす度、より悪い記憶に
小さな失敗は、より大きな失敗に
辛い気持ちは、より死にたいくらい辛い気持ちに
いくらでも増幅してしまいます。とても恐ろしいことですね。
実際に起こったときの痛みが100だとしたら思い出すとき、その痛みは何倍にもなってしまうのですから。
うつの時は自身の悪かったところばかりに目がいきます。何度も何度も思い出しては傷ついて、生傷だらけの心(脳みそ)は血が噴き出したままです。
ここからは私の場合になりますが、心が耐え切れなくて、擦り切れて、段々と凄く辛かったときのことや、その前後を思い出せなくなってしまったのです。
今度はカタチの無い漠然とした不安感に飲み込まれます。
ここで「記録」の登場です。
私は割と何でも記録する癖のようなものがありました。食べたものでも、天気でも、読書の内容など毎回ではありませんでしたがポツポツと色んなところに記録していたのです。
今回こんな状態になってからは積極的に記録するようになりました。(日付・天気・食事・その他1日のことなど)
それをB6くらいのメモ帳に直接書き付けたり、大きめの付箋に書いて貼ったりしました。
その時の私は、自分の症状や感情が正体不明の訳のわからないものに飲み込まれることが、とてつもなく不快だったのです。
毎日細かなことを記録する日々は、3ヶ月くらい続きました。
私はこれの他にも、クリニックの先生に見せる自分の症状や薬の効果を記録しています。
これは人によっては大まかなものにも、細かなものにもみえる記録ですが、今のところ先生からは褒めていただけています。(客観的視点と主観的視点をしっかりと書けているので、治療の参考になるそうです)
経験から言うと、不安感が強い時には「記録」は多くなっていきました。
プライベートな記録であったとしても客観性というものは大切です。
そうでなくては、「記録」は「記憶」と何ら変わらないものになりうるからです。(より悲観的に、悲劇的にうつの脳みそは解釈しがちなのですから)
今回のテーマである「記憶より記録」というのはざっくりと私の中で説明するとこんな感じです。
「記憶より記録」の方が正確だよ!ってことです。
あまり参考にはならないかもしれませんが、自分の症状や考え方を時系列によってみていくと、中々に面白いものです。
日々のテンションの上がり下がりが半端ないです!
「何もできない自分でも、こんな小さなことだけど続けられたんだ!」という自信がほんの少し手に入れることができるかもしれません。(毎日自分の一人称が変わっている気がします。みなさんもこの気持ちは記録することで実感することができると思います。)
是非1日でも良いので試してみてください。(後から読んで、向き合うもよし、悶えるのもよし、破ってスッキリするもよし!)
それでは、今日はこのくらいにしておきます。読んでくださって、ありがとうございます。
まだ終わりませんよ!
それではそれでは・・・・・・
じゃあ恒例のいきますか! ※このブログ内だけです。流行らせようとしています。
はい吸ってぇーーーー(スゥーーー)
吐いてぇーーーーーーーーー(ハァーーーーーーーーーーー)
ちなみに吐く息を長くしたほうが、自律神経の副交感神経を刺激して体がリラックス方向に傾きます。
深い呼吸しましょう。そしてリラックスして、脳に酸素を届けましょう!
知らないうちに、無意識に、笑っているあなたになりますように
改めて今回もここまで読んでくださってありがとうございました!!