こんにちは、とーふです。
お越しいただいてありがとうございます!
※手直し移転記事です。
何気ない日常にも「痛恨の一撃」なら溢れている。それ言われたらどうしようもないよねってことが多い。
うつは体調が良いときもあれば悪いときもある。
毎日激しく浮き沈みライフの私です(もうその辺の泥と変わりない有様)。
自分の理解できない感情に支配されるのは怖いです。
世間一般ではこのような心の病気についての理解は一昔前よりもあると思います。
しかし、実際に当事者であったり身近なひとがそうであったりしなければ思うところはあると思います。
「の病気で~、鬱だから~、やる気がおきないので~ってさ
甘えじゃね?根性がないだけじゃ?最近の若者はこれだから。」などなど
悪気のある人、ない人も含めた何気ない一言は、弱った心にクリティカルヒット。
うつの人はどう受け止めるか
上記のような言葉そのままではなくとも比較的多くの方が、このようなニュアンスの投げかけをなさいます。
そのとき言われた側は、怒ることもできなのです。びっくりするぐらい受け止めてしまいます。
ああそうだな。申し訳ないな。でもどうすることも出来そうにないから死んだほうが(消えたほうが)良いのかも。皆はこんなに頑張っているというのに。
お前何があった!? と言葉を投げかけた者が動揺するくらい重く暗く解釈するのです。
将来のハードル
「これからどうするつもりなの?」
そんなこと聞かれても今生きて生活できてるだけで自分Good job! なんですけど・・・って言えませんよねスイマセン。
目標は日々生きることです。スイマセン「計画性」って食べ物ですか?
という位の低いひっくいハードルで会話してください。
劣等感の塊で、もう簡単に「痛恨の一撃」くらわせられるから。
「ニンゲン、コワイ」と思っている人たちも繋がりは大切だと思います。
繋がりたくても繋がれない人と
繋がれるけど繋がらない人とでは命綱があるのとないのくらい差があります。
独り逃げることもできないのは辛い。
今は様々な機関で命を投げ出してしまいたい人や苦しくて毎日たまらないという人達のために、電話サービスや相談窓口、クリニックなど多くの選択枝や逃げ場があります。
わかってくれる人なんかいないという気持ちはあると思います。
それでも声も出せずにいなくなって欲しくないと思って、動いてくれている人たちもいます。
どうしようもない気持ちも悩みも環境も、一緒に相槌を打ちながら考えてくれるはずです。
独りは寂しくて辛いです(子供でも大人でもお年寄りになっても)。
一人で声も出せずに泣く人が少しでも減って欲しいです。
どんなに細い繋がりでも、貴方のささいな態度や言葉が
人を突き落としたり、はたまた救う命綱になります。
(死にたくない、死ねない、見返したい。
どんなに細い感情の繋がりでも、貴方を引き止めてくれるものになって欲しいです。)
重たい内容になりましたが、今回もここまで読んでくださってありがとうございます。